おんなのこブログ

クマの消えないアラサーゆるふわ女子だよ~

いらねえもんは声をあげていらねぇって言うことに決めた、めんどうだから

前向きな面倒くさがり方を手に入れました。

 

最近ずっとダウナーでした。恋愛はうまくいかないし、仕事は自分が得意でないジャンルの担当になって、作ったもの見ても「どうなのかな……?」という気持ちばかりで納得感が無かったことが原因だと思います。

 

能率上がんなくてぼんやりした気持ちになることが多くありました。

 

人間生きてればご飯食べなきゃいけないしお金は稼がなきゃいけないし知人友人家族との関係を構築することも必要だし、好きな人ができたら少ないリソースの中からさらにごそっと時間とエネルギーをもっていかれるし。

 

何もしないなんてことはできないんですよね。アラサーくらいになればそこそこ土台はできてるので半目で生きながらルーチンワークのように呼吸をして必要最低限の行いをして生活することはできます。

 

でもその状態ではそれ以上は望めない。というか、ゆるやかに死んでいきそうな恐怖感すらあります。

 

もう入社して7年になるけどそろそろ昇進を目指すのか、昇進は目指さず1メンバーとしてこのまま地固めして自分の専門性を高めながら生きていく(でも異動はこの先絶対ある)のか、それとも結婚を目指して「クリスマス越えたらor大晦日越えたらもう市場価値が無い」なんて言葉をボコボコぶつけられる婚活市場に本格参入するのか…。(ちなみに、仕事でプロフェッショナルになる=昇進に繋がるではない職場です。上との関係とか社内の足場作りが違うかんじ)

 

もちろんどれか1つに決めるなんてことは非現実的だしそんな必要ないのですが、"主軸をどこにおいて邁進するか"を選ぶタイミングは自覚的にしろ無自覚的にしろやってきます。私は多分この1年でしょう。

 

知人友人を見ているとハードワーカーのアラサー女性ほどその選択を自覚的に迎えている気がします。結婚してても子どもを作るのか、作らないのか、子どもを産んでも職場復帰するのか、しないのか、するとしたら時短勤務なのかフル勤務役職つきなのか、とかステージを変えながら選択が生じます。

 

なんでアラサーかというともちろんもっと早くその転機を迎えている人もたくさんいると思うんですが、29~31の間くらいって「あ、もうこれのらりくらりやってらんないわ。このままだったら結婚できない/都合のいいように使われる中ベテランになっちゃう/転職できなくなっちゃう」のぎりぎりの時期だからだと思います。転職市場はアラサー女性に厳しいですからね。アラサー女性は入社させてもすぐに結婚して退職したり子どもできちゃったりするからそこのポイントはあらかじめ念頭に入れて人物見られるそうですからね(某人材会社の営業談)。

 

ていうか実際数年前に私の課の前課長(40代男性)が中途入社の面談から戻ってきた後に「いや~いい人ではあるけど29の女性って微妙だよね。子どもできたりしたらすぐいなくなっちゃうからな~。できたら男性がいいな~」って27歳の私を目前に言い放ちましたからね。今思い返してもムカムカします。

 

話は逸れてしまいましたがぶっちゃけていうと選択なんてしたくありません。だって決めちゃうとしんどい。女性の昇進てしんどい。仕事がんばるってなったらその自覚に恥ずかしくない仕事する努力しないといけない。恋愛だってちっとも楽になんないしな!

 

というわけで選びとって邁進するというより、「不要なものを減らしていく生活」をまずはすることに決めました。あれをせねばならない、これをせねばならないを捨てる。「べき」論は自分を苦しくするだけだし実現しない理想は無いものと同じ。達成できなかった差分が自信を奪ってしまったりその差分を不要なもの埋めようとしたりするから、自分で目標をいたずらに高く設定するのはやめる。

 

もちろん仕事にプライドは持って、甘えもなるべく捨てないといけません。興味関心があるものを消費するだけじゃなく取り込むように見ていけたらいいな。できるだけ自分の実生活と重なる部分が出てくるように大切に味わおう。何となくやっていた無駄な習慣を無くしてみよう。気を使いすぎていた人間関係を客観視して、他人に気を使ってバランスを取るのではなく素の自分を出すようにしてみよう。

 

でもこういう「捨てよう減らそう」が逆に首を絞めては意味が無いからシンプルに「要らないな、余分だな」と思ったものをめんどくさがってみようと思います。面倒くさいものを捨てるのではなく。不要なものをめんどくさがることで、ムリして拾わないようにしたいなと…。めんどくさいものを捨てるだけでは「思考停止状態」と同じになってしまいますから。

 

何が違うのかと言われたら、「受け身じゃなくなる」「面倒でも必要なものは捨てない」「自分のリソースを無駄にしないようになる=自分を大切にするようになる」あたりかなと思います。と思って生活してたらここ1週間くらいなのに少し楽になってきました。朝爽やかに起きられるようになってきました。

 

もう少し様子を見てみようと思います。1ヶ月持たなくてまた半分死んだような目に戻ってるかもしれないですからね。ブログもゆるっと書いていきたいと思います。

アラサー娘の結婚を心配するオカンが第三形態に突入した。

学生時代は「結婚は20代のうちくらいにしたらいいわ~。ま、仕事との兼ね合いよね」って言ってたうちの母。

 

32歳の時に私(次女)を産んで公務員として定年までバリバリ働いてたパワフルな人。

ディスるわけではなく、うちの父は超一般的昭和男性で普通に仕事して家空けてて、進んで育児参加してるわけじゃなかったし、姉妹2人は母が働きながら育てた。

 

そんな母が娘のアラサー突入に伴い、結婚に対しての言論が第三形態に突入した。

 

大学卒業したては母も余裕ぶっこいて「仕事との兼ね合いで結婚とか考えたらいいわ」って言ってた。

 

私が就職してまぁまぁのハードワークで毎日帰りが23時、みたいな生活をおくりだしてからは「まぁ~結婚だけが女の幸せじゃないし、そういうことも視野に入れつつ、まぁ、出会いは巡り合わせだからね。あなたが満足ならいいわ」って言ってて。

 

そして7年目。あと1ヶ月で29歳。彼氏いない暦7年を重ねた娘に。

 

「老後、さびしいわよ…?」

 

って。

 

何この破壊力。

何周回ってその考えにいきついたの。

私の将来想像して悲しくなっちゃってるじゃん!

 

今一度この言葉についてよく考えてみよう。気持ちを落ち着けて。そこの席に座って。動揺して左右に動く目を一回閉じて。深呼吸して。

 

「老後が」「さびしい」「わよ…?」に分けて考える。

 

「老後が」

今じゃない、30代でも、40代でもない。老後。つまり、私がおばあちゃんになって、母も父も居なくなった時にあなたはひとりぼっちになってしまうわよ…という意味だ。幸いにして私には姉が居て、姉の家族もいるから親戚は居るが、それにしたって一つ屋根の下で暮らす「私の家族」はゆくゆくはいなくなってしまう。結婚しない、子孫を残さない、内縁でも伴侶がいないってそういうことだよね。

 

「さびしい」

親不孝者! 孫の顔見せろやぁぁ! と責められているわけでもなく、文字通り「さびしい」という事実をつきつけられているのだ。60過ぎまで仕事をしていた母に「(仕事で自分の居場所を築いたり、食うに困らない程度の金を持ったりしたって)家族がいなけりゃさびしいよ?」といわれたら、私は反論する術を持つわけもなく。確かに、自分を省みてもTV見て笑っても一人、高熱を出しても一人、友人も皆家庭を持ったり老化から疎遠になって、咳をしてもひとり。な境遇に耐えられるほど人間的に強いとは思ってない。

 

「わよ…?」

これが一番怖い。私に疑問系で聞いてきてる。「気付いてないかもしんないけど、そうだからね」って。いや、分かってるよ。実感して動けてはないかもしれないけど、分かってる、分かってるよ。一生一人で居たいとはこれっぽっちも思ってないからね。

 

というわけで、母から思わず出てしまったこの短い言葉。そこに凝縮されたメッセージ性の高さに私は身震いを禁じえないわけなのです。

 

毎日面白おかしくストレスフルに生きてたわけなんですが、今一度自分を見つめなおし、時間を作って、この母を安心させるべく週1で合コンしようと思います。

 

 

……うそだけど。

っていうか無理だよそれは…。

 

母の眠れない夜はまだしばらく続きそうです。ごめん。